What's JR Piazza

 
 
  
1.Asso di Fioriについて
 
 2chのピアッツァ・スレッドで、プロトタイプAsso di Fioriのベースがアウディなのか、ジェミニなのか、意見が分かれていましたので、手持ちの資料(「カースタイリング」  No. 27 (Summer 1979))からまとめてみました。結論を先に述べると、やはりジェミニと思われます。

 ジウジアーロのクーペ・プロトタイプ3部作「アッソ・シリーズ」は以下の通り:

  • スペード: アッソ・ディ・ピッケ(アウディ80) 1973年フランクフルト・ショー
  • ダイヤ: アッソ・ディ・クァドリ(BMW320) 1976年トリノ・ショー
  • クラブ: ヒョンデ・ポニー・クーペ(初代アッソ・ディ・フィオーリ) 1974年トリノ・ショー

 当初は、ヒョンデ・ポニー・クーペがアッソになるはずだったが、「トリノ・ショー開幕の時点で現代自動車はクーペも量産化する以降を示し、「ヒョンデ・ポニー・クーペ」の名で展示することが決まった」ことから、ピアッツァが紆余曲折を経て「アッソ・ディ・フィオーリ」となった。

 また、ハートのAもあってよいのだが、「イタリー人の感覚ではcuore:ハートを車名に使うことは不自然であり、気のすすまぬことであるとか、また“フィオーリ”はクラブのAを意味すると同時に、最高のあるいは精粋などを表し・・・」ということで、やはりありません。

 Asso誕生までの経緯はここにまとめてあります。興味があればどうぞ。

 ● アウディがベースとなったという出所は?

   「J's Tipo」 No. 12 (1994.1)のI先生の文章

「当初はアウディのシャシコンポーネンツを使ったスペシャルティカーだったんだが、後にデザインスケッチだけに留まらず、紆余曲折を経てジェミニベースで実車が作られたのだ」

アッソ・ディ・ピッケがアウディ・ベースだったので勘違いしたのかな?。まあ、今となっちゃ、ジェミニでも、アウディでもどちらでもいいか・・・。

 

 

 

2. ウィキペディアのピアッツァの記事について (「ピアッツァ」で検索して下さい)
 

 本サイトが参考サイトになっていますが、この記事中の以下の箇所に問題があると思います。
 (初代の歴史の本文4〜5行目)。 *2005年5月12日書き直しました。

本文: 「ただし、当時の道路交通法との兼ね合いでフェンダーミラーでデビューせざるを得ず、ジウジアーロは時代遅れの考えと運輸省批判を繰り返し、最終的には特別認可であったが、我国におけるドアミラー装着第1号となる」

 

見解: まず事実なのは、ピアッツァのフェンダーミラーをデザインしたのはジウジアーロ本人であること。次に事実が関係できないこととして、ジウジアーロが運輸省批判したかどうか。これは1981年前後の資料からどうしても確認できず、この話しは都市伝説ではないかと思われます。いくらジウジアーロが超有名デザイナーであったとしても、イタリア人である彼が運輸省を動かす、というのは無理があると思います。事実関係が確認できないので百科事典に載せるのは・・・。ところでドアミラー装着第1号は、「パルサー・エクサ」だったけ・・・(自信がないので再調査します)。

 <関連記事>

 「ル・ボラン」1981年6月号で、ジウジアーロは「サイドミラーを付けるとその部分に死角が生まれるから、逆にフェンダーミラーの方がよいかもしれない。個人的には決してフェンダーミラーをきらいではない」と語っている。

 当時商品第2企画部長Tさんのインタビューがある。そこには、「ドアミラーは特に我々も一生懸命運輸省にかけあいましたが運輸省としてもまだドアミラーの良し悪しの基準が出来ていないので少し待ってくれ、ということでした。でも近いうちになんとかなりそうです」 (CARトップ1981年6月号)

 

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