本文: 「ただし、当時の道路交通法との兼ね合いでフェンダーミラーでデビューせざるを得ず、ジウジアーロは時代遅れの考えと運輸省批判を繰り返し、最終的には特別認可であったが、我国におけるドアミラー装着第1号となる」
見解: まず事実なのは、ピアッツァのフェンダーミラーをデザインしたのはジウジアーロ本人であること。次に事実が関係できないこととして、ジウジアーロが運輸省批判したかどうか。これは1981年前後の資料からどうしても確認できず、この話しは都市伝説ではないかと思われます。いくらジウジアーロが超有名デザイナーであったとしても、イタリア人である彼が運輸省を動かす、というのは無理があると思います。事実関係が確認できないので百科事典に載せるのは・・・。ところでドアミラー装着第1号は、「パルサー・エクサ」だったけ・・・(自信がないので再調査します)。
<関連記事>
「ル・ボラン」1981年6月号で、ジウジアーロは「サイドミラーを付けるとその部分に死角が生まれるから、逆にフェンダーミラーの方がよいかもしれない。個人的には決してフェンダーミラーをきらいではない」と語っている。
当時商品第2企画部長Tさんのインタビューがある。そこには、「ドアミラーは特に我々も一生懸命運輸省にかけあいましたが運輸省としてもまだドアミラーの良し悪しの基準が出来ていないので少し待ってくれ、ということでした。でも近いうちになんとかなりそうです」 (CARトップ1981年6月号)