
先代アルシオーネは、「企業イメージの向上や「レオーネ」の増販を図る客寄せの目玉商品(「日経産業新聞」
1985/2/6)」として、また「対米輸出を念頭に置いて開発(「日経産業新聞」
1985/5/13)」され、米国市場の好みに合わせた2ドアクーペとして生産された。米国内の車名は「スバルXT」 (1800cc)。1985年2月、対米輸出台数は月間2千台ペース(「日経産業新聞」
1985/2/6)で輸出が開始された。4月の販売台数は約1,000台(「日経産業新聞」
1985/5/13)。1985年度の日本製乗用車の対米輸出枠は230万台。富士重工はこのうち約11万台の枠を持っており、「アルシオーネ」「レオーネ」の2車種を輸出した(「朝日新聞」
1985.10.31)。
米国販売会社はスバル・オブ・アメリカ (SOA、本社ニュージャージー州ペンソーケン市)である。SOAは1968年2月15日に設立された。スバルXTは、2月下旬から米国に向けて船積みされ、SOAを通じて全米約800店のディーラー網へ振り分けられていった。販売活動は4月に入ってからようやく立ち上がった形で、当初は製品不足の状態が続いた(「日経産業新聞」
1985/5/13)。
6月下旬からは、欧州市場(スイス、オーストリア、西独など山岳地帯の多い国を中心)に投入されることになった(註1)。XTは遡ること数ヶ月、3月のジュネーブ自動車ショーでお披露目されていた。発売はスイス市場からで、スイス、オーストリア、西独の3ヶ国を中心に月販400〜500台を見込んでいた(「日経産業新聞」
1985/5/18)。
参考: アメリカ市場2,000台、欧州市場500台、国内市場500台で、計3,000台の月間販売目標
6月までの月間平均販売台数は1,500台前後で品不足となり、全米の現地ディーラーに十分にクルマが行き渡らず、また6月に販売開始された国内市場の受注が1,200台、販売700となり、欧州へも輸出が開始されたこともあり、月間5,000台前後の増産が図られた(「日経産業新聞」
1985/7/8)。販売実績は、3月338台、4月980台、5月1,497台、6月1,664台、7月1,414台となっており(「日経産業新聞」
1985/8/2)、プレミアム付きの人気となっていた(「日本経済新聞」
1985/8/13)。
富士重工業は、1987年の2月に米国市場へ2,700ccの水平対向6気筒エンジン[と電子制御フルタイム4WDシステムACT-4+ABS]を搭載したXTの投入を決めた(「日本経済新聞
1987/2/11)。「これまでエンジン出力が他のスポーティー車と比べ見劣りするため、高馬力のエンジンが求められていた(「日経産業新聞」
1987/7/18)」を受けたもので、「国内ユーザーの高級化志向に対応するのと、円高で低価格車が競争力を失いつつある米国市場にカツを入れるのが狙い(「中日新聞」
1987/6/25)」であった。輸出台数は月間500台(「日経産業新聞」
1987/7/18)」。当時、水平対向六気筒の量産車は西独やイタリアの高級スポーツカーを除くと、富士重のアルシオーネだけ、だそうだ。12月には、1988年春にも2700cc車の欧州向け輸出を決定した。これは、「規制色が一段と強まるとみられるEC市場では販売台数の増加が見込めないことから、付加価値の高い高級車を加えて輸出車種のラインアップを強化するのが狙い」(「日刊工業新聞」
1987/12/5)から。
2700cc車は、1988年3月から対米輸出と販売が開始された(註2)。米国名は「スバルXT6」で、販売目標を月間2,000台に設定した(「日経産業新聞」
1988/3/21)が販売が伸び悩み、そのため「内装の大幅改装をはじめ車体前面の付属品の改良まで手をつけ」(「日経産業新聞」
1988/9/9)たマイナーチェンジ車を1989年の1月に投入し、米国市場のテコ入れを行った。これまでのXTの年間販売台数は、1986年の23,947台がピークで、1988年1月〜11月は13,268台であった(「日経産業新聞」
1988/12/13)。また、1990年の欧州市場への月平均輸出台数は約100台だった(「日経産業新聞」
1991/9/20)。
註1 「スバルの欧州進出は日系自動車メーカーのなかでは比較的遅く、74年にベルギーにスバルの特約店第一号が誕生して います。その後、イギリス、スイス、ドイツと欧州各国に特約店を展開していきました。各国の特約店が各自の進め方でマーケ ティングを進め、それなりの成功を収めてきたわけです。富士重工業のビジネス規模として独力で展開するのは無理があると いうことで、現地のことは現地に任せるとの方針がありました」
走りにこだわってブランド構築をめざす 〜スバル・ヨーロッパ(統括会社)が本格起動へ〜 より
註2 「日経産業新聞」 1988/12/13では、1987年10月に輸出が開始された、とある。
■ Subaru XTの輸出カタログ(判明分) *持っている訳ではありませんので問い合わせはご遠慮下さい。
対米
カタログ番号: 1985-87, 両面1枚,
A4 *XT Coupe, Design by Kaminari,
カタログ番号: 1985-88, 両面1枚, A4 XT
Coupe, Design by Kaminari,
カタログ番号: 1985-89, 両面1枚, A4
*上に同じ XT Coupe, Design by Kaminari,
カタログ番号: 1985-90, 両面1枚, A4 *上に同じ
XT Coupe, Design by Kaminari,
カタログ番号: 1987, 両面1枚, A4 *XT
Coupe, Convertible by asc,
対スイス [スバル・スイスによるXT紹介]
カタログ番号:
なし, [no date], 四つ折, format A4 *Ein neuer Traum.
Eine neue Wirklichkeit (in German),
対西独
カタログ番号: なし, [no
date], [no date], 16 pages, format A4
対英 (未確認だが、対豪仕様用も含んでいるかも)
カタログ番号: 85BR20E, 03/1985, 20 pages, A4
カタログ番号: 86BR20E, 09/1985, 20 pages, 30x25 cm
カタログ番号: Oct. 85, 10/1985, 両面1枚, A4
カタログ番号: 87BR22 ER, 08/1987, 20 pages, 30x24 cm
カタログ番号: 87BR22 E, 02/1987, 20 pages, 30x24 cm
カタログ番号: 不明, 1988,
対ベルギー
カタログ番号: 86BR20Z, 09/1986, 20 pages, A4
フランス語
カタログ番号: 86BR20Z, 09/1986, 20 pages, A4 オランダ語
カタログ番号: なし, 1988, 16 pages, A4 フランス語
カタログ番号: なし, 1988, 16 pages, A4 オランダ語
対オーストリア
カタログ番号: なし, [no date], 20 pages, 30x24 cm *対英の86BR20E
(1985.9)のドイツ語版
対スウェーデン