JTピアッツァはそれ専用の設計でない。アメリカで販売された2代目インパルスのいわば日本仕様である。2代目インパルスは、GEO
ストーム(日本仕様はPA Nero)の兄弟車、そのGEO ストームはジェミニ・クーペとも兄弟車。JTピアッツァは複雑怪奇な経緯を経て誕生したようだ。とりあえず、ベースとなったジェミニから書いていきます。
ようやく、インパルスとGEOストームのアメリカ仕様のカタログが全て揃ったので、そろそろ再開します。(2005.1.30)
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1. 3代目ジェミニの開発コンセプト 3代目ジェミニ (JT1)の先行プロジェクトが始まったのは、2代目ジェミニ (JT0)が登場した(1985年)まもなくのことだという。製品企画室のT主査は、デザイン・オリエンテッド(意匠が指導性をもつこと)が90年代を支配するだろう、と予見し、90年代のジェミニのあるべき姿を提案するコンセプトチームを組織した(「新型ジェミニのすべて」)。 そのコンセプト・チームは、新型ジェミニの狙うターゲットユーザーである新人類というべき20代後半(「新型ジェミニのすべて」)と同じ年齢層で構成されており、試乗調査等を通じてNEXT (New Extension to 760 Project)と題した、ビジネスコンセプトと商品コンセプトを一冊の小冊子にまとめた。760はJT1の試作Noである(「いすゞ技報」 No. 83)。このNEXTから、ジェミニの「クォリティ・コンセプト」は今後とも正しい方向であり、これを更に発展させ、「人間の五感に心地良い刺激を与える車作り」をすべきである、という結論が得られた(「いすゞ技報」 No. 83)。 ■ 開発コンセプト
■ 開発の狙い 「人間の五感に心地良い刺激を与える車作り」とは要約すると以下の通り。
開発コンセプトの実現のために、「個性的で洗練されたスタイル」と「快適な走り」に拘って開発は進められた(「いすゞ技報」 No. 83)。いすゞデザインのフィロソフィーである「カプセル・フォルム」の徹底によりジェミニのアイデンティティを出し、独自のポジションを3代目で定着させ、確固たる地位を築く、ことがデザイン上の狙いとなった(「新型ジェミニのすべて」)。これまでは妥協をデザイナーに求めたが、設計や実験部門よりはデザイナーの意見が優先された。一例を挙げればフロントのグリルレス。各方面から反対意見があったという(「いすゞ技報」 No. 83)。 ジェミニの販売は、GMにかなりの販売量を依存していたため、デザインやスタイリングにGMの意向が反映された。但し、日米ユーザーの好みは異なるため両者のニーズを満足せせるためにその調整は慎重に行われた。デザインはすべていすゞ工業デザイン部の作品で、藤沢のいすゞステュディオ(スタジオ)で行われた。チーフデザイナーは本多氏で、途中、GMのデザイン担当副部長や国際車担当部長らが訪日し、ラインを検討した(「Car Styling, No. 」)。それぞれの車種のキー・デザイナーは、
中村史郎氏とは、もちろん日産・現常務デザイン本部長その人である。 いすゞ自動車は背水の陣を敷いてJT1にかけていたようだ。将来はジェミニのほか、(1990年中にも発売する)上級小型車もGMが世界中に張り巡らしているネットワークに乗せて、売りさばく長期構想を描いていた(「日本経済新聞」 1989.8.18)。
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2. GEO ストーム、ジェミニ・クーペ、及びハッチバック クーペとセダンは並行開発(「いすゞジェミニのすべて」)。クーペとハッチバックは、北米をリードマーケットとするクーペ(GEO ストーム)から先にデザイン展開が行われ、1985年に開始、1986年に最終案が決定している。また、ハッチバックのデザインは、クーペの案が決定してから6ヵ月後くらいから本格化した (Car Styling, No. )。1988年4月に、ハッチバックの最終プラスティック・モデルが完成してる。 ■ コンセプト
ジェミニ・クーペは、GEO ストーム(即ち、PA-Nero)をフェースリフトしたものである。ジェミニ・クーペはセダンに通じる楕円形の異型ヘッドランプ採用、Geo ストームはセミリトラクタブル&角型4灯ヘッドランプを採用し、パンパー形状は共に違う。また、乗り心地もかなり違うもののようである。「ヤナセ・ルートで売られているPA―NEROは、基本的にアメリカ仕様の柔らかいサスペンションを採用、これに性能の高い60タイヤを組み合わせているのでミスマッチが生じていた。ジェミニ・クーペは高性能タイヤにマッチするようにサスペンションを固めているので、ハンドリングは良好である。キビキビした旋回性能を持ちながら、高速時の直進安定性も高いレベルにある」(「日経産業新聞」 1990.10.2) いすゞ、乗用車になぜ固執――GMとの絆にも配慮(ビジネスTODAY)
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3. 2代目インパルス 1987年2月のロータスとの提携により、次期ピアッツァがX100 (M100)と呼ばれるロータス製のスポーツカー(後のロータス・エラン)と姉妹車になる、デザインはジウジアーロとの噂が広がった。噂の出所は「ベストカー」や「ニューモデルマガジンX」等である。当時のいすゞの状況では、莫大な資金を投入して、全く新しい新車を開発しにくい状況(「ベストカー」 1988.2.10)からこんな噂が出てきたらしい。 当時のあるいすゞ自動車関係者は、「(ロータスの2ℓクラスのスペシャルティカー=ピアッツァの後継モデルという噂に対して)確かにそうでしょうね。いすゞのラインからロータスに供給するような形になれば、ピアッツァとして登場することになりますね。でもいすゞ内でも次期ピアッツァプロジェクトが独自に進んでいるのも確か。どちらがピアッツァのネーミングかはわからないけれど、来年中にも新モデルが登場することは間違いなし」とコメントし、さらにアメリカで登場し、日本へは2年後というスケジュールまで明らかにしている(「ベストカー」 1987.11.26)。 「GMが欲しがっているのはジェミニだけ。あとは無理をせずトラックに専念して欲しいというのが本音」と業界関係者が語る通り(「日本経済新聞」 1989.8.18)、GMはジェミニ以外の車種、アスカにも、ピアッツァにも興味を持っていなかったようだ。JRピアッツァのような贅沢なクルマをGMの支援なしに作ることはできない。それ故、いすゞ自動車は1987年ぐらいにはGEO ストームの兄弟車として、2代目インパルスを作り、北米で売ろうと考えるのは自然の成り行きのような気がする。しかし、北米でストームと全く同じクルマは売れないので、変更が行われた。 ■ デザイン面 「男性的クーペ」 「マッチョな感じ、いすゞはベレット時代から男性的なスタイルに特徴があったんです」(工業デザイン部の話)(「 日刊スポーツ」 1991.8.22) やや厚めのノーズ、丸型ヘッドランプ、リア・ランプも横に出し車幅感を強調することにより、
走る「ゲンコツ」をイメージしたレンダリングを何かの雑誌で見た記憶があるのだが、見つけられなかった。 ■ ラインナップ
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4. 2代目ピアッツァ
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1989 | 秋 | JT1系「インパルス」(2代目)を90年モデルとして発表 | ||
1989 | 10 | ジェミニ・クーペのプロトタイプ「760X」を東京モーターショーに参考出品 | ||
1990 | 1 | 「インパルス」をデトロイト・モーターショーに参考出品 エンジンを1800ccとし1991年に日本市場にも投入、1992年に2000cc (「日刊工業新聞」1990.2.5) |
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1990 | 2 | 「インパルス」をロサンゼルスモーターショーで発表 | ||
1990 | 2 | 「ジオストーム」をヤナセで扱うことに合意 ヤナセとの販売提携の強化 1991年の「ピアッツァ」後継車、1992年投入予定の新型2000ccの乗用車についても協議(「日刊工業新聞」1990.2.5) |
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1990 | 3 | 19 | 新型ジェミニ・セダンの報道発表会
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1990 | 3 | 中旬 | 米国市場に、「ジオストーム」を投入 | |
1990 | 5 | 16 | 「ピーエーネロ」 PA NERO発表 | |
1990 | 6 | 1 | PA NERO投入
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1990 | 10 | 1 | ジェミニ・クーペ投入 DOHC16バルブエンジン1588ccを搭載、最高出力は百四十馬力(レギュラー・ガソリン) グレードは2種類 定員は4人だが、実質2人 ヤナセ・ルートで売られているPA―NEROは、基本的にアメリカ仕様の柔らかいサスペンションを採用、これに性能の高い60タイヤを組み合わせているのでミスマッチが生じていた。ジェミニ・クーペは高性能タイヤにマッチするようにサスペンションを固めているので、ハンドリングは良好である。キビキビした旋回性能を持ちながら、高速時の直進安定性も高いレベルにある 米村太刀夫の新車採点1990/10/02, , 日経産業新聞,。 |
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1991 | 2 | 21 | ピーエーネロ改良及びイルムシャー追加 グレード名を、タイプSから160S、タイプXから160Xに変更 装備:サイドドアビーム、後席3点シートベルト、4スピーカー(160X)等 イルムシャー160R追加(DOHCターボ+フルタイム4WD) |
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1991 | 3 | 1 | ピーエーネロ発売 | |
4 | 19 | ヤナセと「ピアッツァ」後継車で販売提携を拡大に合意 (「日刊工業新聞」 1991.4.19) ピアッツァの後継車に関し、ヤナセルートで月間200台の販売を行うことで合意 2月に販売提携を抜本的に拡大することで基本的に合意 92年市場投入予定の2000CC乗用車についてもヤナセルートで販売
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1991 | 5 | 21 | ピーエーネロ 限定車ハンドリング・バイ・ロータス追加 限定200台 160Xベース、ロータスサスペンション レカロシート、モモ製ステアリング、BBS製15インチアルミホイール、オートエアコン、 パナソニック製オーディオ、イルミネーション付リヤガーニッシュ ボディカラーはエボニーブラックのみ |
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1991 | 8 | 21 | 「ピアッツァ」のモデルチェンジを発表 |
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1991 | 9 | 7 | JT1型「ピアッツァ」発売 ヤナセ仕様の「ピアッツァネロ」も同時発売 昨年夏にアメリカで発売した「インパルス」(排気量1600cc)がベース。フロントノーズを4cm延長 「ゆとりのある走りと落ち着きのある乗り心地になった」 セミリトラクタブル機構式丸型ハロゲンヘッドランプやテールゲート一体型リアスポイラーを採用 英国グループロータスパブリック社が調整したサスペンションの採用(前輪駆動) マクファーソンストラット式四輪独立懸架でナチュラル4WSを採用 中低速域の性能を高めた新開発エンジン1800ccDOHC150馬力を搭載 9インチマスターバッグ付き四輪ディスクブレーキを標準装備 ドイツ製レカロシート(本革)採用、シフトノブ本革、フロンガスの量を従来より35%少なくしたエアコン、 フォグランプ、後部座席に3点式シートベルト標準装備、モモ製ス本革テアリングホイール 月販目標500台 価格は189万9千―234万3千円(全国統一価格) 92型「インパルス」の上級車として輸出(次期型)
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1991 | 10 | いすゞ乗用車事業を再編、モデル数を減らす――ジェミニ、米で自社販売停止。 1991/10/18, , 日本経済新聞 朝刊, 11ページ, , 828文字 いすゞ自動車は販売不振で採算が悪化している乗用車事業のテコ入れ策を固めた。主力の小型乗用車「ジェミニ」は九三年の全面改良を機に、米国での自社販売を停止する。米国の自社販売網向けに年間約一万台輸出しているジェミニの出荷分をそのまま米ゼネラル・モーターズ(GM)向けに振りかえ、販売経費を節減する。国内ではジェミニのモデル数を現在の三種類から二種類に減らし、開発、生産コストを削減する。乗用車の採算悪化は赤字転落の要因の一つになっており、乗用車事業の再編成で経営悪化をくい止める考えだ。(中略)九三年からは三ドアをなくして車種を縮小する。自社で開発するモデル数はピアッツァを含めて合計三種類ですみ、数百億円単位の資金の節約、開発要員のトラック、RV(レクリエーショナル・ビークル)部門への再配置が見込める。 |
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1991 | 11 | 5 | ピーエーネロにハッチバック追加・発表 1500SOHCエンジンの150J、 1600DOHCターボのイルムシャー160R |
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1991 | 11 | 7 | ピーエーネロのハッチバック車発売 | |
1991 | 12 | 3 | 第1回ニュー・カー・オブ・ザ・イヤー ピアッツァ(いすゞ)のニシボリック・サスペンションは、'91〜92のテクノロジー部門で13位(30票) |
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1991 | 12 | 27 |
いすゞ、加に小型乗用車輸出。来春から年8000台、GMカナダが販売協力 いすゞ自動車の飛山一男社長は二十七日、米ゼネラル・モーターズ(GM)およびGMカナダ社との間で来春から小型乗用車「ジオストーム」を年間八千台、GMカナダ社の販売網で販売することで合意したことを明らかにした。 |
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1992 | 2 | 7 | エンジンの冷却装置の欠陥でリコール エンジンを切っても冷却用電動ファンが止まらなくなり、バッテリーがあがるおそれ 対象車種「ジェミニ」「ピーエーネロ」「ピアッツァ」「ピアッツァネロ」 1990年3月〜1991年10月までの計3万7657台 |
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1992 | 2 | いすゞ自動車、経営悪化のため、再建計画で次期「ジェミニ」の開発延期を決定 | ||
1992 | 5 | 20 | ピーエーネロ限定車イルムシャー160F追加 100台限定 イルムシャーサスペンション塔載 |
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1992 | 6 | 6 | ピーエーネロ限定車イルムシャー160F発売 | |
1992 | 7 | いすゞ自動車、乗用車事業から撤退する検討に入る | ||
1992 | 10 | 29 | ピアッツァ/ピアッツァネロ マイナーチェンジ 181XE廃止、新色のラズベリーマイカ追加 |
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1992 | 11 | 7 | ピアッツァ/ピアッツァネロ マイナーチェンジ車発売 | |
1992 | 12 | 17 | いすゞ自動車、乗用車から撤退。次期「ジェミニ」の後継車種の開発断念 ピーエーネロとピアッツァネロ生産中止 |
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1992 | 12 | GMに、、「ジオストーム」の生産中止を通告 | ||
1993 | 3 | 末 | ジェミニ及びピアッツァ生産中止 | |
1997 | 12 | 16 | JTピアッツァのリコール届出 アルパイン製オーディオ本体の配線基盤に不具合 1991年7月から1993年3月までに生産された840台の「ジュミニ」と「ピアッツァ」 |
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